1984-06-27 第101回国会 衆議院 農林水産委員会 第20号
私どももそういう面を従来から主張してきたつもりでありますが、例えば問題になっておる米の今日の状況についても、少なくともこの十数年来減反政策を通して米過剰論というものが振り回されてきた。末端へ行けば、米をつくる者は悪者だ、こんな印象をつくり出しかねないような状況さえ出てきておるわけであります。
私どももそういう面を従来から主張してきたつもりでありますが、例えば問題になっておる米の今日の状況についても、少なくともこの十数年来減反政策を通して米過剰論というものが振り回されてきた。末端へ行けば、米をつくる者は悪者だ、こんな印象をつくり出しかねないような状況さえ出てきておるわけであります。
そこで、この米過剰論、米が過剰だ、確かにあなた方は在庫を抱えていらっしゃいます。なぜ米がこのように余されたのかという根本認識の問題、これがあなた方の農政の非常に重大な欠陥であろうと思うのです。外麦はどんどん輸入する、そうして米を余らしておいて、生産者農民に対しては米過剰論を振りまいて米価の抑制をやる。この点が転換を迫られている非常に重大な点だろうと私は思うのです。
昭和四十四年から米の生産調整という新しい事態、つまり米過剰論を踏まえて、新しい農業もしくは農村への公共投賛は押えていく、抑制していく。つまり、農業生産の拡大に刺激的に作用する財政支出であっては、国民的合意を得にくいし、したがって、新しい公共投資はこれを押えていく。
こういう事実の上に立って、今日米過剰論をするのはおかしいじゃないですか。大蔵大臣、どうお考えになるのですか。 そこで、もう一つ伺いたいのでありますが、そういう外国食糧の輸入というものが基盤をなしておって過剰論というものが出ておるじゃないか。これを輸入しなければどういうことになる。足らないじゃないですか。しかも、米が非常に足りなくて、年度末に一万三千トンか一万五千トンしかなかったのは何年ですか。
そして、新しい開田をするという場合は、傾斜その他の問題もあって、そう過大な毛のを水田として望むことはむずかしいというふうなことを考えてまいりますと、米の過剰論というのは、将来までなまやさしく考えられるかどうかということには、大いに疑問があるというふうに見てくると、最近の米過剰論は、非常にためにする意図が入っておると思わざるを得ない。